東京地方裁判所 昭和24年(ワ)1175号 判決
原告 峰村辰夫
被告 山内盛三
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告に対し澁谷区元廣尾町一番地所在木造亜鉛葺二階建店舗兼住宅一棟建坪十一坪六合九勺二階八坪四合九勺(但階下店舗間口約二間半、奥行約二間建坪約五坪は除く)を明渡すべし訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、其請求原因として、
被告は本件建物を前所有者訴外篠塚清子から賃料一ケ月金四十五円の約定で期間及敷金の定めなく賃借居住していたところ、原告は昭和二十三年十一月二十七日右建物を篠塚から買受け同年十二月一日所有権取得の登記をして、被告に対する賃貸人としての地位を承継した。而して原告は昭和二十四年一月二十四日書留内容証明郵便を以て自己使用の必要上原被告間の賃貸借契約を解除する旨解約の申入をなし右通知は同月二十六日被告に到達した。よつて原被告間の右賃貸借契約は解約の申入が到達した日の翌日から六ケ月を経過した昭和二十四年七月二十五日終了したのであり從つて被告は本件家屋を明渡す義務あるものである。
而して右解約の申入は次の如き事情から爲されたもので借家法第一條の二に定める正当の事由あるものであつて有効である。即ち、
原告の父峰村琢郎は本件家屋がまだ訴外篠塚清子の所有であつた昭和二十二年六月被告から本件家屋の階下店舗約五坪を賃料一ケ月金千円の約定で轉借し同人はこゝで薬局を経営していた、その後琢郎は百方轉居先を探したがなかつたのでこの事情を被告に話し賃貸借期間を六ケ月延長することになつた。
しかるところ琢郎は昭和二十三年九月頃本件家屋の所有者訴外篠塚清子が訴外渡辺定次郎を通じて被告に対し右家屋の買取りを求めているのを知つたが同人は被告が之を買取ることゝ思つていたところ、同年十月十一日に至り右渡辺定次郎が被告が買わないなら他へ賣ると言つたのを聞いて他へ賣られては自分達は直ぐ立退かなければならないだろうと思い其の立退きを避けるためと又薬局の設備の整備上現在の店舗だけでは狹いところ、被告は勤人で本件家屋は住居として使用しているので店舗は必要がなく又表通りでなくてもよいであろうから被告には自分の居住している家屋を提供し本件家屋は全部自ら使用するため之を自分で買受けようと考え渡辺定次郎に買受方を申込んだ処同人は即時之を承諾したので、同月十三月手付金を交付して置き其子の原告名義で買受け且つ登記した。
そして原告は被告に対し(1) 原告の父峰村琢郎が所有居住している家が本件家屋と一番地違いの所にありそれは二階建で階下は六疊と四疊半階上は八疊であり外に玄関廊下があつて大きさは本件家屋と大同小異であるから之を入替ること(2) 被告が本件家屋から他へ退去すれば相当移轉料を提供すること(3) 階下の一室だけを明渡すこと等の條件を以て訴訟外において情理を盡くして明渡の交渉をしたが何れも被告が拒絶したので果さなかつた。現在原告は住居と店舗とが別々で店舗では便所も水道も使用を禁止されているため一々住居迄戻つて用を足さなければならずそれも交替する家族が居るときに限られるので原告やその妹が登校した後は用便も足すことができずこの爲健康に勝れない原告の父母は交互に病床に倒れ又慶應義塾大学に在学中の原告もこの交替のため授業の遅刻は殆ど毎日で登校を断念せざるを得ないことも屡々であつて其精神的肉体的苦痛は計り知れないものがある。しかも原告の一家は父琢郎の右薬局の経営以外には他に生計の途なきものであるが本件家屋の明渡が得られないと薬局を閉鎖しなければならず年老いた原告の父は他に職業を求め得べくもない。從つて原告等は明日の生活も不可能となり原告も其妹も学業を断念せざるを得ず之等原告の蒙る不利益は計り知れないものがある。
之に反し被告に於ては本件家屋は居住のために使用しているのみである。被告は青果実業を開業するからと言うが被告は本訴提起迄一度もかゝることを言つたことはなく昭和二十三年正月には原告方に於て商賣は経驗もないしやるつもりもないと言つたこともあり又原告が本件店舗を賃借する以前にも果実商、煉炭商、電気屋等が夫々相当長期間賃借営業していたのであつて原告が初めて借りたものではない。尚又本件家屋の正面道路に面して二軒と数軒離れた処に二軒の青果物商があり地理的環境からしても極めて不適当な場所である。然るに薬局は本件家屋の西方約二丁半の所に一軒あるのみで最も営業に適した場所である。
更に被告は現在澁谷区役所税務課に勤務し其妻も勤めて居り其收入で安定した生活を送つて居り子女の教育に就いてみても長男は経費の嵩む私立麻布高校へ長女は同じく私立東京女学校へ次男は南部坂幼稚園へ夫々通学し中流以上の生活をしているかゝる富裕な被告がこの上店舗を必要とするとは考えられないが、若し青果実業を眞実行う意思があるとしてもそれが出來ないことにより蒙る被告の不利益は原告が蒙る不利益に比ぶべくもなく少いものであるし又青果実業を営むには是が非でも本件家屋でなければならない理由はない。
原告は被告の移轉先に関しては現在原告等が居住している家屋を提供するから被告は移轉先に困ることはなく、而も右家屋は本件家屋と一番地違いの近くであり且原告は其移轉費用を負担するから被告は之によつて何等損害を蒙るものではない、又原告は右家屋の提供の代りに金員を提供してもよい考えである。
尚被告は本件家屋を一ケ月四十五円の賃料で借りて居ながら、其四分の一に当る店舗五坪位を原告の父に一ケ月賃料千円で轉貸して居るのであり、被告はかくの如き社会正義に反する思想の持主であるから信義誠実を原則とする新民法の趣意により借家法の保護は及ばないものである、と述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、
被告が訴外篠塚から本件家屋を賃借し、之に居住している事実被告が昭和二十三年六月原告の父に本件家屋の階下約五坪を轉貸した事実及昭和二十四年一月二十四日附内容証明郵便を受取つた事実は之を認めるが、其他の事実は否認する。
被告と本件家屋との関係は被告の先代山内常吉が昭和五年十二月二十日当時の所有者訴外川島孝三郎から敷金三百円賃料一ケ月三十三円で期間の定めなく賃借し、其後右川島は死亡し其娘の篠塚清子の名義になつたが引続き賃借して來たもので営業に関しては被告の父が大正四年頃澁谷区元廣尾町二番地で青果実業を始め、昭和五年十二月同町内の本件家屋に移轉して後も右営業を継続していたが、被告の父は昭和十四年に死亡し右営業は昭和十九年五月企業整備のため止むなく廃業した。終戰後被告は復員したが、戰傷の療養と青果実の統制との爲営業は再開できないでいる内に昭和二十二年四月頃同町内に住んでいて亡父の親友であつた訴外大橋健吉から、吉橋牛肉店の一部を借りて薬種商をしている原告の父峰村琢郎が移轉先を探しているが一時でよいから是非店舗を貸してやつてくれと再三頼まれた。しかし被告は將來営業を再開する計画だつたので断り続けたが外ならぬ大橋が全責任を持つというし、又被告の方の事情にも同情したし、更に一時だけでよいと言うことでもあつたので、期間を昭和二十二年六月一日から翌二十三年五月二十日迄として店舗のうち約五坪を賃料一ケ月三百三十円(電燈及夜の留守番料共)で轉貸したところ昭和二十三年四月原告の父琢郎から移轉先がないから明渡を待つてくれと頼まれた。被告は琢郎が移轉先を探しているということでもあり、又青果実の統制もまだ廃止されていなかつたので、被告の青果実業が再開出來るようになつたときは即時明渡すこと、原告方では引続き急いで、移轉先を探して明渡すこと等の約定の下に六ケ月間だけ明渡を猶予した。そして被告は昭和二十三年九月十日頃大橋を通じて契約通り十月末日迄に明渡すよう請求したし、原告の父も又移轉先を探していたところが昭和二十三年十月二十日頃本件家屋の所有者篠塚の代理人訴外渡辺定次郎から本件家屋の買取方の交渉があり、被告は右渡辺と主として價格の点について数回に亘つて交渉を進めているうち、同年十一月中旬になつて突然原告が買つたことが分つたので、原告に対し右家屋を被告に賣つてくれるよう交渉したが、原告は誠意がなく之に應じなかつたものである。
右の如く原告の行爲は正義人道に反したもので其解約の申入は正当の事由がないから無効であると述べ、又仮に右解約の申入は正当の事由があるとしてもそれは権利の濫用であるから無効である、と述べた。<立証省略>
三、理 由
被告が本件家屋を訴外篠塚清子から期限の定めなく賃借居住していた事実、昭和二十二年六月原告の父訴外峰村琢郎が其階下店舗約五坪を轉借した事実原告が本件家屋を買受けた事実及び原告が被告に対し昭和二十四年一月二十四日附内容証明郵便で解約の申入をした事実は当事者間に爭がない。
そこで原告のした解約の申入は正当の事由に基くものかどうかに就てみるに成立に爭いのない甲第一乃至第三号証同甲第四号証の一、二同乙第一乃至第三号証証人峰村琢郎同吉田春雄同大橋健吉同峰村フヂの各証言及被告本人訊問の結果並に弁論の全趣旨を綜合すると次の事実が認定できる。
(イ)原告の父訴外峰村琢郎は薬剤師で近くの澁谷区下通りで二十年來薬種商を経営していた処、昭和二十年五月罹災したので一時休業して郷里に帰つていたが、終戰後上京して本件家屋の近くにある吉橋牛肉店の一部を借りて薬種商を再開したところが、其後吉橋が商賣を始めたので店舗が必要になり又法規により薬種商は牛肉屋と同一店舗で営業ができないので他に店舗を探していたところ、昭和二十二年四月頃被告の賃借していた本件家屋の階下店舗(土間)が空いていたので知合いの訴外大橋健吉に一時名義だけでもよいから借りてくれないかと頼んだ処、大橋は被告に其旨を告げ尚自分が全責任を負うことを約束したので被告は右大橋は同町内に居住して居り、亡父常吉とは親密な間柄にあつた人であり、その大橋が全責任を負い期間も一時というのでその申込を承諾し結局階下店舗の内約五坪の部分を賃料一ケ月三百五十円期間昭和二十二年六月一日より翌二十三年五月二十日迄の約定で轉貸し琢郎はこゝで薬局を開業した、其後琢郎は轉借期も切れるので他に移轉すべく右大橋にも依頼して移轉先を探し、昭和二十三年五月頃本件家屋から約半丁程離れた所にある田辺某の所有家屋を買うよう話を進め手附金を交付する段迄になつたが、田辺の子の反対で果さなかつた。このような次第で、移轉先が見付からないうちに轉借期間が満了してしまつたので琢郎は仕方なく大橋を通じて一年間契約期間を延長してくれるよう被告に申込んだところ、当時青果実は統制が解除になつていなかつたが一年間以内位には解除になる見通しであつたので、契約期間内でも青果実の統制が解けて被告が営業を再開できるようになつた時は、二三ケ月前の予告を以て明渡すこと及琢郎は引続き移轉先を探し見付かり次第移轉すること並に賃料を一ケ月千円とするとの約定で期間を六ケ月だけ延長することになり、其後も琢郎は移轉先を探していた。
しかるに昭和二十三年十月中旬頃訴外篠塚清子は其持家を処分することになり主として借家人に買取りを求めんとし訴外渡辺定次郎を代理人として被告にも本件家屋を買つてくれるよう申込んで來たので、被告は之を買受けるつもりで賣買價格について交渉を続けていたが、昭和二十三年十一月十一日渡辺は被告に対し、買わなければ他へ賣るより仕方がないがと言つて念を押しに來たので被告は十四日迄回答を猶予してもらつた。
訴外峰村琢郎は右両者間の交渉がはかどらないのをみて移轉先は仲々見付からないし、被告は勤人であるから店舗は不要であり、從つて本件家屋がなくてもよいだろうから被告には自分達が居住している家屋を貸與し本件家屋は自分が買受け之を全部自ら使用しようと考え、同月十二日被告に無断で原告名義で渡辺に買受けを申込み代金八万五千円で賣買契約を締結し即日内金四万円を支拂つた。
他方被告は約束の前日である同月十三日買受ける旨告げるため、渡辺方に行つた処其妻より賣れてしまつたらしいと言われたので翌十四日再び自分に賣つてくれるよう頼んだ上、篠塚に対しても人を介して自分に賣つてくれるよう頼んだが効を奏せず、昭和二十三年十一月二十五日本件家屋の買主が原告であることを篠塚から聞いていたので原告や其父琢郎に原告が買つた價格で賣つてくれるよう申込んだが、價格が一致せず原告の方では二十年間店舗を貸してくれゝば賣つてもよいと言う話もあつたが、被告はこゝで青果実業をするつもりだつたので成立しなかつた。昭和二十三年十二月原告は被告に対し從來の恩義よりしてなるべく円満に本件家屋の明渡を求めるため訴外吉田春雄を介して(1) 原告の父が所有している階下六疊四疊半廊下玄関二階八疊の家屋が本件家屋と一番地違いで十数軒位しか離れていない所に在り、本件家屋は階下が約五坪の店舗(土間)と四疊半の部屋で二階が四疊半及六疊であつて大同小異であるので被告は之を賃貸し、他に金一万五千円を支拂う(2) 被告が他へ移轉すれば金三万円を支拂う(3) 階下の四疊半だけを明渡す等の條件で数回交渉したが被告は之に應じなかつた。
(ロ)原告の一家は原告の両親と原告及其妹の四人で原告は慶應義塾大学に其妹は中学校に夫々在学中で、父琢郎の扶養を受けているもので琢郎は薬剤師で二十数年來薬局を経営し外に職業や收入はなく現在も本件家屋に於ける薬局の経営によつて一家の生計を立てゝいる者であり、年齢は五十八歳であり轉職は困難な事情にある。
ところで薬種商は薬事法により昭和二十四年七月以降は薬局の外に二坪以上の試驗室を設けることが必要となり、この設備ができないものは薬種商の許可が取消されることになつているが、琢郎は現在は明渡請求中を理由に其取消を猶予されているものであり、現状に於ては使用面積は約五坪にすぎないから本件家屋の明渡しを受けない限り試驗室の設置は困難である上に原告等が居住している家屋と薬局となつている本件家屋とは半丁位離れて居り、又薬局には水道や便所の設備がなく被告方のそれは使用していないので種々の不便がある。すなわち店舗に水がないので調剤ができず客より求められた品物が住居の方にあつても店を留守にできないので取りに行くことができない。店舗は琢郎と妻フヂとでやつているが琢郎が問屋等に用足しに行つた後などはフヂは交替する人がないので便所にも行けず晝食も取れない、そしてその間は住居の方は留守になるので鍵を掛けて置かなければならない、又規則で薬局は夜でも留守にしてはいけないので從來は被告に留守番をしてもらつていたが本件爭いになつてからは原告が土間である店舗に寝泊りして琢郎かフジが朝食を済ませて店舗に行き原告と交替するのであるが、それが遅れるために学校の授業が早く始まる日には原告は之に遅刻してしまう。但し琢郎は本件家屋を轉借するに当つて水道便所及ガス等に不自由なことを承知して入つたのであり、被告方にあるそれ等は最初から使用しなかつたのであつて本件爭いになつてから特に禁止せられたという訳ではない。
(ハ)被告の先代常吉は昭和五年十二月二十日本件家屋の建築当時の所有者川島孝三郎から之を賃料一ケ月三十三円毎月二十八日拂い敷金三百円の約定で期間の定めなく賃借し其後川島孝三郎は死亡して其娘の篠塚清子の名義になり賃料もその間に八十四円になり、常吉死亡後は引続き被告が賃借して來たものであり、篠塚から買取りを求められたときもその申込に應ずるつもりで交渉をしていたところを原告に出抜かれたもので、その後も之を買受けんとして前示の如く種々努めたのである。被告の亡父は大正四年頃本件家屋と同町内である澁谷区元廣尾町二番地で青果実業を開業し本件家屋を賃借して之に移つた後も引続き右営業を継続し、昭和十四年九月同人死亡後は被告の妻と子供で営業して來たのであるが、昭和十九年五月に至つて青果実の統制と企業整備のため妻と子供だけでは経営が困難になつたので、同業者のすゝめで止むなく廃業するに至つた。被告自身は昭和七年山内家に養子に來たもので大部分海軍に入つて居たので青果実業は昭和九年頃七ケ月位從事したのみであるが、昭和二十年九月復員してからしばらくは戰傷を療養していたが生計のため青果実業をやろうと思い、青果実組合澁谷支部長や区役所の経済課、警察等に交渉したが、青果実が統制されているためしばらく待てということで開業できなかつた。しかし現在は青果実の統制も解除になつたので被告は青果実業に経驗の多い母をしてその経営をさせるつもりでいる。
尚被告の家族は被告と其母、被告の妻及子供三人の計六人の家族であり被告が澁谷区役所税務課に勤務し其妻も又他に勤め、それらの收入を以て生計をたて本件家屋は現在は之等の者の住居用にのみ使用しているもので尚青果実業を廃業して以來は店舗が空いていたので之を琢郎に轉貸する以前も人に貸したりしていた。
右に認定したところによれば、本件家屋は原告の父琢郎が薬局経営の必要上自ら使用する目的で買つたのであり、今その明渡が得られないと薬事法が要求する試驗室を設置することができず、從つて営業許可を取消され原告家の唯一の生計の途を失うおそれがある外住居と店舗が離れているため営業上の多くの不便を余儀なくされているのであるが、他方被告は本件家屋に永年住んで來たのであるからこれを明渡すことは精神的に苦痛であろうし、被告家が家業として來た青果実業を再開する途を失うことになる。しかしながら現在被告家は被告と其妻が他に勤務して生計を建てゝおり青果実業が再開できなくとも生計に困る訳ではないし、又本件家屋を明渡しても住居は琢郎が所有している家屋を賃借でき、しかもその家屋は近くに在つて大きさも似て居るから住居や生活に困ることはない。
右の如く原被告が本件家屋を使用できないために蒙る不利益を比較すると原告の受ける不利益は被告のそれより大であると認められる。しかしながら抑々原告の父琢郎が本件家屋で薬局を経営するに至つた事情をみると琢郎はそれ迄薬局を営んでいた吉橋牛肉店を出なければならないことになつたが、代りの店舗が見付からず店舗がなくては薬の配給も受けられないので困つた揚句一時名義だけでもよい、そして被告が青果実を再開するときには必ず明渡すからとて其店舗を轉借したものであつて、その期限が切迫すると被告に懇請して六ケ月間の猶予を得、立退先を探しておりながら、所有者篠塚に本件家屋賣却の意思があると知るやすでに被告が永年の賃借人としてこれを買取り家業を再開しようと希望し所有者と再三交渉中であることを知るに拘らず、何等被告に断ることなく突如として自ら買取つたものである。この点に関し証人峰村琢郎は被告が買取方を断念したと聞いたと証言するが、その証言自体たやすく措信し得ないのみならず右のような関係にある同人としてはたとえそのように信じたとしても一應被告に面接し、眞実なりや否やを確かめるのが誠実な轉借人のとるべき態度であり、これを盡さなかつたことは甚だしき過失、不信といわれても仕方のないところであろう。
又同人は他に賣却せられ明渡を要求されることをおそれ自己の薬局を確保するために買取つたに外ならぬというが、その後被告から再三の買取申込を拒絶していることからみてもこの供述は信用できない。
およそ家屋の所有者が借家人に対し明渡の要求をなさずその買取方を交渉しているとき第三者が事前に借家人に対しその明渡を承諾するや否や又は明渡の條件の如何につき何等確かめることなく、自ら使用する目的をもつて買受けた場合に、その承継した賃貸人としての地位が前所有者のそれよりも強力有利となるべき筋合のないことはいうをまたないところであつて、買受人に自己使用の必要があるという事実のみを理由とし賃借人に解約申入をもつて臨むことは許さるべきことではない。いわんや買受人が現在家屋の一部を借家人から轉借し、しかもその期限到來して明渡の猶予を求めていた者においておやといわざるを得ない。
本件において原告は種々の條件を以て円満に明渡を求めようと努力して居るとはいえ被告の強く希望する買取の交渉には一顧だも與えず、自己がさきに負担している明渡義務を履行し得ないかどうかについて誠実に考慮してみたかどうかも疑わしく、又被告には八十四円の賃料で借りた家の四分の一程の部分を三百五十円次で千円の賃料で轉貸している不当があるとは言えその轉借人は外ならぬ琢郎その人であることを考えれば原告が被告に対して賃貸借契約を解除し本件家屋の明渡を求めることは信義則に違反するものと言わざるを得ないのであつて原告のなした解約の申入は正当の事由なき無効の意思表示であると言わねばならない。
原告の請求は右解約の申入が有効であることを前提とするものであるから、其請求を理由なきものとしてこれを棄却し訴訟費用につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 近藤完爾 大沢竜夫 渡辺忠之)